マインド

MINOMUが出来上がるまで

マインド


幼少期~学生時代

7歳 洋裁をしていた母の影響でミシンを踏み始める。

10歳 親が離婚して引っ越し、妹たちのお世話や家事をやるようになる。

13歳 中学入学後に小学校からの同級生から仲間外れにされる。

15歳 辛かった日々は卒業まで続いた。

16歳 思春期真っ盛りな高校生になり人間関係の構築が苦手だと気づいた。

レジ打ちのバイトをするも接客が苦手でクビになり、
違うバイトでラッピング技術を身につける。(月数百個をラッピングした)

18歳 高校も卒業するまであまりなじめずに卒業。将来を考えて突然進学を決める。

19歳 母子家庭なので、奨学金を借りながらバイト代で
   足りない学費を稼ぎながら大学へ通った。

22歳 就職氷河期もありことごとく不採用…ストレスで自律神経失調症に。
就活を一時諦め療養後、臨床心理士に憧れつつも、奨学金の返済もあり就活再開
苦手な営業職に就職。
(営業が出来れば苦手な接客も出来るようになるかと思い気合で就活した)

社会人時代

23歳 銀座に本社を構える、宝飾の卸会社に就職した。

営業職で採用だったが事務職で配属になり、接客が苦手だった私は
事務職が向いていたようで、入社一年目から飛び級でどんどん昇格した。

ここで、宝飾やジュエリーの知識・商品の撮影・雑誌掲載の知識・接客や事務知識・
卸や小売の知識・ビジネスマナーを学んだ。ここでもラッピングの経験がとても役立った。

見た目に反してジュエリー業界の裏方は男性が多く、仕事終わりのお酒の席で
業績や年間の売上目標など色々と教えてもらった。
しかし、上司の執拗な

子育てが始まる

27歳 結婚を期に退職し、転勤族の夫の異動に
合わせて長野県へ引っ越す。長男出産。
  昼夜問わず仕事のある夫の為、ワンオペ育児が始まる。

大学で学んだ発達心理学が育児にとても役立ち、
発達ののんびりな子だったものの
初めての育児は大変でもあり楽しくもあった。
しかしハンドメイドが出来るほどの余裕はなかった。

30歳 二人目の妊娠をきっかけにワンオペ育児も
ピークに大変だった時期ではあるものの、
上の子の入園を機にミシンを購入し色々な物を作り始めた。

元々ミシンは子供のころから慣れていたので、
入園グッズやベビーグッズを作ったり
友人から頼まれて無償で作ったりしていた。

「売ってるものよりいい!」と言われたが、
専門的な知識があるわけでもなく
自分が作った物が売れるとは思ってもいなかった。
あくまでも私にとっての息抜きだった。

【カルトナージュとの出会い】

次男出産後に、たまたまスマホを眺めていたら
カルトナージュの文字と共に可愛くデコレーションされた
おしりふきケースを見つけました。
こんな可愛い物なら作りたいと見様見真似で作ってみたら、
生地を扱い慣れている私であっても全然キレイに出来なくて
ちゃんと学ばなければいけないと感じたのでした。

しかし現実は、新生児と幼稚園児をワンオペ育児中で
なかなか自分の時間を取ることは難しかったのです。
でもどうしても諦めることが出来ず、
色々なカルトナージュについて自分なりに調べていました。

それから3年後に次男は4年保育での入園が決まり、
私のカルトナージュ人生が動き始めました。
その間に転勤での引っ越しやマイホーム建築の為に
色々やらねばならないことがあったのですが、
この時の為に温めていた資格取得に向けて出来るところから始めました。

まずは念願のおしりふきケースの資格を取得しましたが、
販売やレッスンなどは考えていなかったので
可愛いケースが作れるようになって満足していました。

その後、家を建てた時の工務店の女性専務から
「是非デコレーションケースを買わせて欲しい」と
言われたことをきっかけに、
私の意識は販売やレッスンなどが自分に出来るのかを
考え始めるようになりました。

そして、販売をするきっかけをくれたのが学生時代の友人でした。

自営業でイベントやワークショップなどやっていて
一緒に出ないかと声をかけてくれたのです。

そこから私の人生は一変しました。

販売については前職の知識があったので、
商品についてリサーチし客層や出店場所などから
子供向けの商品を取り揃えて挑みました。

初めてのイベントで1日で3万円の売上!
商品単価は数百円程度だったのに。

自分の作品が売れる事に驚いたものの、
もっといい物を作りたい!という気持ちが大きかったです。
そこから本格的に活動をはじめカルトナージュとミシンの布小物を
掛け合わせた作品を販売していきました。

活動が軌道に乗りかけた矢先にコロナでイベントは全て中止になり、
販売先を失ってしまい辞めてしまおうかと迷っていたら、
マスクが入手困難だったこともあり
「マスクが欲しい」と頼まれたのです。
生地の在庫を全て使い切るほどマスクを作りまくり、
家族や友人などに配り続けました。

そのマスクも一工夫して、
「お年寄りだと上下が分かりづらい」という声があり、
上下を気にしなくても使えるプリーツマスクを作り続けました。

口コミでご近所の方や母の会社の上司の方などへと広まり、
材料代のみでとにかく作りました。

マスクが普通に買えるようになった今でも
マスクが使いやすいとご注文を頂いています。

私はミシンが出来たおかげでマスクに困ることなく過ごすことが出来ましたが、
他の方のお役に立てることが自分にも出来るのだと分かりとても嬉しかったです。

この先も「誰かの為に役に立てる物を作り続けよう」と覚悟を決め、
自分で作ったカルトナージュ品の販売を委託することにして
送りだしみたら全て完売!!!
お客様に私がつくった商品が届いて嬉しかったです。

そこからは、「可愛く・便利で・必需品」になる作品を常に考え
色々な作品を作り続けました。

実は祖父が会社経営者で経営の大変さも知っていたので、
自分は扶養内でハンドメイドをしていければいいと思っていたのですが…。


主人が体調を崩して休職することになり、家計は一気に火の車に。

「収入を夫に頼るのではなく夫婦で協力していかなければならない」
とこの時感じました。

体調不良で休職中の夫はなかなか動けず、
子供はまだ小学生と幼稚園でした。
自宅で仕事をする以外の選択肢がなかったのだと思います。

ここで開業を決めて一気に活動を本格化しました。
レシピ開発や新作販売、ネットショップ開設など多岐にわたり
販売作品はトータル2000点を超えました。

年に数回しか行わないInstagramでのライブ配信販売では
3時間の配信で8万円を売り上げる事もありました。

レシピ販売では4日間で40名の方に受講頂き、
1カ月後には60名様以上の方が受講して下さいました。

商品の販売、レシピ作成、オンラインショップなど
色々なツールを適切に使うことによって成果が出てくる
と感じました。

ここまでになるには本当に試行錯誤の日々でした。
自分ひとりでは何をどうしたらいいのか

「分からないことが分からない」
そこで色々なセミナーに参加しました。

数カ月かけて自分のやりたいこととマッチする
コンサルを見つけることが出来ました。
そこから得た情報や知識は私の財産になりました。

カルトナージュの講師としての知識
集客やマネジメントの知識
販売やレッスンによる実践知識
オンライン化するための知識

そこで色々なことが見えて来ました。
この経験をハンドメイドで悩んでいる方々に
活かしてもらえないだろうかと。

カルトナージュは生活雑貨と大きく関わっているので、
ずっと使って頂ける商品が沢山あります。
また、カルトナージュとミシンで作る小物を掛け合わせると
誰も作ったことのない商品が完成します。
カルトナージュと掛け合わせてオリジナリティのある
自分だけの作品を沢山の方に作って頂きたい!

また、販売の方法や集客など私自身が実体験したことや
コンサルを受けて得た知識をお伝えすることによって、
私が数年かかってやってきたことを最速で実践出来るようになります。

ハンドメイドで成功したい方。
是非、【最速起業カルトナージュ講座】で
ご自身の技術と掛け合わせて人気作家さんになって頂きたいです。